希望
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» 小泉さんの政権なら、これまでと何も変わらない! [とくらBlog]
不覚にも涙が出そうになってきました。と書かれている方と同様、私もちょっと放心状態となり、仕事が手につかなくなるほどでしたが、世に倦む日日のリズムみたいなものが、どうしても胸を苦しくするので、思いつめないようにしなくちゃ、と なるべく気分転換するようにしていますが、どうしても時間がない、という思いが迫ってきて、せっぱつまった気持ちになります。今の時代なら、ブログを書いている私たち市民が坂本龍馬さんの役割はできないのかと、夢みたいなことを考えるのだけど、何にしても時間がないです。
確実に流れは変わ... [続きを読む]
受信: 2005年9月 9日 (金) 21時24分
» 世に棲む日日 [世に倦む日日]
ブログ名の「世に倦む日日」は、司馬遼太郎先生の有名な歴史小説の題名から頂戴したものである。「棲」と「倦」の字形が似ていて、これは長年懐で温めてきたところの、誰にも先を越されたくない - 我ながら絶妙の - コピーアイディアであり、HPかBlogの標題を新規に掲げるときは必ずこれにしようと心に決めていた。小説をまだお読みになられていない方がおられれば、この機会にぜひご一読されたい。小説は二人の革命家の物語である。一人は29歳で死に、もう一人は27歳で死んだ。二人がいなければ明治維新はなかったと思うが、... [続きを読む]
受信: 2005年9月 9日 (金) 22時47分
コメント
はじめまして。
「世に倦む日日」のthessalonikeさん、アクセス集めて舞い上がってますね。
アンチネオリベとかいうカンジを気取りながら、結局のところ、「ブログジャーナリズム」とやらの権威が欲しかった、との本音が聞こえてきそうな自己顕示欲全開の最新エントリーにかなり辟易しました。
まるで、民主主義の崩壊とともに、ただ、また一人余分に声の大きな人間の「勝ち組」成功の三文ヘゲモニー喜劇に立ち会っただけであったかのよう。
お粗末極まりない「ブログプロパガンダ」の権威争奪戦・ラベリング泥試合に終始した右とか左とかの皆々様、ご苦労様です。
コイズミは勝てば官軍、「ブログジャーナリズム」なんていう自意識過剰の雑音さえも目立てば官軍。
今はただ、自らを不幸とすら思い知ることのできなくなった真に不幸な人々への恩寵を祈るばかり。
もはや、自分たちの子どもに託す未来もありやしない。
これでおしまい。
失礼いたしました。
投稿: uzumaky#9 | 2005年9月11日 (日) 21時27分
自虐時計#9さん、コメント有り難うございます。面白そうだけど今の私には少しみるのがしんどそうなブログ拝見しました。「これでおしまい」なんて言わずにまたご意見ください。
投稿: panta | 2005年9月12日 (月) 00時13分
はじめまして。「世に倦む日日」から辿って来ました。
>uzumaky#9 さん
>アクセス集めて舞い上がってますね。
そう読みましたか。
わたしはthessalonikeさんが、自民の勝利を予測して、読者を勇気づけようとしたんだと思えました。
もしくは落胆を予感して、自らを鼓舞しているようにも見えて・・・。
インターネットはまだ発展途上中なので、ブログがジャーナリズムとしてどうであるか、は まだなんとも言えないと思います。
が、ここで失望・沈没してしまっては 次世代の明日は・・・。
失敗したら
「なにが問題なのか」 そして 「ではどうればよいのか」
それを考えるしかないように思います。
で、、、このブログのタイトルいいと思う!
投稿: KIM | 2005年9月12日 (月) 01時02分
たびたびのコメント、申し訳ありません。
>pantaさんへ
昨夜はお初にも関わらず、唐突な私憤をこちらに書いてしまって申し訳ありませんでした。
あなたのブログに書くべきことじゃなく、あなたに不快感を与えてしまったと、悔いています。本当にゴメンナサイ。
あなたのブログだけがわたしのルサンチマンな呟きを受け入れてくださるブログでしたので、あなたのブログの好意に甘えてしまいましたね。。。(パスワード制限が以前よりも過剰すぎるブログが増えてきたように思います)
わたしの過去の「説明せず」「表現に徹する」ブログに足を運んで頂いたこと、感謝します。
>KIMさんへ
わたしはthessalonikeさんのエントリーはすべて読んでたんですが、彼が、「ブログジャーナリズム」の成果、とりわけご自分の成果を語られるならば、当然、それは「ブログジャーナリズム」が小泉ファシズムに勝利した時でなければいけないんじゃないかと個人的に思いました。
thessalonikeさんのプロパガンダも辞さないジャーナリズム手法はわたしは支持していますし。ただ、それによって、「自分で考えないTB」が彼のブログに集約されるだけならば、「世に倦む日々」は右にも左にも転びうる、偏向啓蒙機関紙に陥ることもありえないとはいえないと思います。だからレッド・ツェッペリンの画像を用いたりするあのエントリーにわたしは危惧を覚えてしまいました。
真に私たちが救いを希求するならば、私たちは「右」や「左」などと貶し合うような折衷不在のネット間セクト主義、リアルな現実から来るフラストレーションから相互不信へと陥り見えぬ他者をサディスティックに憎悪する悪癖(小泉はこれらの下々の憎悪を自分の権力に上手く利用してますね)、こういったものを、必ずや、命がけで、克服したいものですね。
ある意味で郵政民営化の勝利は、お国におんぶで抱っこだった福祉国家の臨界期を知らしめた、という成果を得られたかもしれません。
今回のことによって、自発的な市民の集合体による下からの政策の発想や、共生コミュニティの自発的創生について、そういった進路を国民が自然に気づきを得て行くかもしれない。そういうふうに、市民が自律的な個人に生まれ変わり、自立的な個人が集結してすべての人々の幸福を選び取る時代への船出の舵取りを始めようとするよい契機となるかもしれません。
いや、そうでなくてはいけないですね。逆転の発想で9.11を出発しなければ。
自律的に市民が自分達の国について事故を啓蒙し始めたとき(誰かの啓蒙におんぶで抱っこのTBオンリーではなく、一億人の啓蒙者、一億人のthessalonikeさんが生まれ始めたときこそ)、小泉イズムはきっと終焉すると思います。
タイトルのこと、どうも!!!!!
宮台真司と『腹腹時計』のチンケなパクリですが。。。。
長文すいません!!!!
投稿: uzumaky#9 | 2005年9月13日 (火) 01時10分
uzumaky#9さん、一つも悔いる必要はないですよ。あなたの考えをこうやってお聞きすることができただけでも、私にとってはとても有意義なことでしたし、たまたまこのやりとりを見ていた人たちにとっても必ず得るものがあったと思います。thessalonikeさんに対するあなたの言わんとすること、よく理解できました。
それから最後の3段落、そんなの理想主義者の夢物語だと安易に片づけたくはありません。そのことを忘れてしまうと、「圧倒的多数の民意が示されたから」なんて言って、いともたやすく自分の信念を翻すことになるんだと思います。
uzumaky#9さん、どうぞこれからも甘えて(笑)いろいろなコメントをお寄せ下さい。
投稿: panta | 2005年9月13日 (火) 20時43分
>uzumaky#9さん、
わたしも・・・書いていただいてよかったです。
お気持ちがわかり、納得できたし、共感します。
わたしは難しいことはわからないけど、自分で見て考えることが大切だと思っているので・・・。
ネットの活用はもっとあるように思っています。
わたしは、これをwebからリアルにリンクさせていくのにはどうしたらよいかな?なんて思っています。
前回の選挙でネット上の仲間に協力してもらい投票を呼びかけるHPを作りました。これはアンケートをプリントアウトして広げてもらう、というものだったけど、、、今回、投票率が上がることが自民党に有利になるのでは、と思いPRしませんでした。けど、取り組んだことで選挙自体のおかしさに気づくことができたことはやってよかったことの1つだと思っています。
いろんな人が、いろんなところから、自分のやり方でやってみるのが面白いんじゃないか、とおもっています。
uzumaky#9さんのブログ拝見しましたが、いきなり終わっていたので驚きました。時間のあるときに少しずつでも読みたいと思っています。
pantaさま、長く書いてしまってすみません。
このブログの今後に期待しています。
投稿: KIM | 2005年9月14日 (水) 00時34分