« 2005年11月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年1月の3件の記事

2006年1月30日 (月)

「安晋会」

images

事実は小説よりも奇なりとはこのことでしょうか。

疑惑は一人のダークプリンスに収束しつつあります。

耐震偽装にも、ライブドアにも、カチリとはまるキーワードは「安晋会」です。

世に倦む日々「野口英昭は安晋会の理事だった - 週刊ポストの衝撃スクープ」

世に倦む日々「週刊文春の野口英昭「怪死」事件記事 - 秀逸なジャーナリズム」

ストレイ・ドッグ「安倍官房長官とライブドア事件を繋ぐ「安晋会」の闇」

ストレイ・ドッグ「ヒューザー・小嶋社長証人喚問、ライブドア疑惑のどちらでも名前が出る安倍晋三官房長官の不徳」

きっこのブログ「諸悪の根源は自民党」

images_2

とうとうここまでブログや週刊誌があぶり出してきたわけですが、わたしのまわりの一般大衆の方々の話題にはまだのぼってきてないようです。

さて検察はどこまで突き進むつもりなのでしょうか?

テレビや大新聞はこの動きにどう答えるのでしょうか?

世論の動きを横目で見ながら、検察、テレビや大新聞の「権力の親衛隊」、ブロガーや週刊誌などの三つ巴、四つ巴の押し相撲が始まっているようです。

images_4



もしかしたら「9.11」よりこちらの方が天王山なのかもしれません。

今我々がしなければならないことは、知恵を出し合って、力を合わせて、この事実を少しでも多くの人に伝えることだと思います。


(2005.1.31)

| | コメント (4) | トラックバック (6)

2006年1月14日 (土)

smile again (^_^)

sa_main

ヘンリー・オーツさんからコメントを頂いたこともあって、紅白の"smile again"をじっくり視聴しました。

前回のエントリーでも書いたように、私の妻は新年になってからもかなりの長期にわたってビデオにとって置いた紅白を、数曲ずつ見ていくのが常です。


9.11以来すっかりワイドショー嫌いになってしまった私の希望もあって、最近食事の時間はいつもその紅白ビデオを見て過ごしています。


今日は丁度、"松任谷由実 with Friends of Love the Earth"の"smile again"を視聴しながらの昼御飯でしたが、いつのまにか涙がじわーと溢れてきていました。


巻き戻して,もう一度聴いてまた涙…。


早速、iTunes Music Store から200円で購入し、今それをBGMにこのエントリーを書いています。


shanhainight

あの夢のような上海の夜景をバックに日中韓比のシンガーが素晴らしい歌声を競い合う。



まるで東アジア共同体が実現して、各国人がお互いに敬意を表しつつ自国の文化を誇りあって大晦日の東アジア紅白歌合戦が行われ、それを留学生の李くんやホームステイ中の毛さんとワイワイ言いながら視て新年を迎えているような、そんな錯覚に私は捕らわれていました。



NHKよ、ありがとう!



これが今回の紅白の、そしてNHKの心ある人たちの渾身のメッセージだったんですね。



だからこそみのもんたさんにはもう少し気の利いた感想を発してもらいたかったんですけど、全体を通して感じられた彼の姿勢は、その逆でした。



そして日頃韓国や中国を口汚く罵っている人たちにこそあの場面をみてもらいたいと考えたのは私だけではないと思います。

がんばれ! NHK。

負けるな! NHK。

(06.1.12)

| | コメント (0) | トラックバック (12)

2006年1月 9日 (月)

Always, そして紅白

元日に家族で「Always 三丁目の夕日」を見ました。always

もう初っぱなから涙腺が緩みっぱなしで、声を上げて泣きそうになるのをこらえるので必死でした。

久しぶりに、気持ちの良い涙を思いっきり流すことが出来ました。

実は年末は、家族のことで以前からの心配の種が危機的状況になりつつあり、毎日毎日なりふり構わぬ状況が続き、憔悴しきっていました。

ブログの更新もままならず、TBやコメントに対してもほったらかしの状態が続いていました。

TBやコメントを下さった方々、大変失礼しました。

この場を借りてお詫びします。

心配の種は決して消えてはないのですが、なんとか一息つけることが出来て皆で映画に行った次第です。

そんな状況の私に対して、この3丁目の住人達のまっすぐでひたむきな生き方は、ああ日本にもこんな時代があった、私にもそういう頃があったんだ、希望を捨てずに頑張ろうという気持ちを強く呼び起こさせてくれました。

あの日本人に明るい希望があった時代、そして日本人が皆、戦争に繋がるすべてのものを理屈ではなく生理的に拒否していた時代、そんな時代に私は生まれ育ったんだなあとしみじみ思った次第です。

ちなみにこの映画の設定の昭和33年には私はまだ幼稚園にも入っていない歳でしたが、当時私が住んでいた東北の片隅の小さな市では私が小学校に入学した頃も同じような夕焼けを見ていた気がします。

本当にお勧めの映画です。

上映延長が決まったそうなのでまだの方は是非見てみてください。



さて、次に紅白です。

kohaku

本当は大晦日にあった紅白歌合戦の方が時間的に先のはずですが、今回は例の9.11からテレビを見るのを止めていましたし、総合司会が例の人だったので私自身はリアルタイムにはほとんど見ていませんでした。

mino2

私の家では毎年紅白を家内がビデオに撮っていて、それを正月になってからも食事時などに細切れに繰り返し見るのが常です。

そういうわけで、今回何日もかけて久しぶりにテレビを、と言っても紅白だけですが、じっくり見させてもらいました。

例の人は「紅白でNHKをぶっ壊す」なんて早速誰かさんむけのリップサービスをしていましたが、琴欧州の紹介の時に「ヨーグルト!」なんて叫ぶのが関の山のようでした。

番組が進行して行くにつれてわかってきたのは、NHKが戦後60年ということを曲がりなりにもひとつのテーマに据えて、戦争や原爆の悲惨さを伝える詩の朗読を間に入れたり、平和の大切さや戦争や差別のない世界を意識したいくつかの選曲をしていたことです。

その朗読や歌のときは、その内容そのものと、もうひとつは「まだNHKはぶっ壊されていない、内部の人たちは踏ん張ってくれている」という想いの、二重の感激に浸っていましたが、それをことごとくあの人は台無しにしてくれていました。

さだまさしが「広島の空」を歌い終われば、「長崎はほんと、坂がおおい所なんです。」としめくくり、森山良子と直太朗の「さとうきび畑」が終われば「本邦初公開、親子共演です。」とわざとらしく人々の関心をはぐらかそうとしていました。

yamane

山根アナウンサーの「今年は戦後60年で…」の発言をわざと無視して次の話題に移る念の入れようです。

今回の紅白を通してずっと感じられたみのもんたと山根アナの間に漂っていたよそよそしさや、紅白後のみのもんたの「NHKに対して大不満」発言から察するに、戦後60年ということで、それにふさわしい平和のメッセージを何らかの形で表現して欲しいというNHK側の要求を、みのが今年の年男のあのお方(本当は午年ですけどね)に倣って傲然と無視したのかなと思ったりしてみた今年のお正月でした。

(2006.1.9)

| | コメント (2) | トラックバック (4)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年4月 »