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2006年8月の4件の記事

2006年8月31日 (木)

悪政、苛政

Hokenshou

今日、診察にこられた老婦人からいつもより多めに薬を出して下さいと言われました。理由を尋ねると、保険料が来月から上がってしまうので少しでも節約したいからとのことでした。「自分は一人者で裕福でもなく、最近収入が増えたわけでもないのに何で保険料が急に上がるのか納得がいかない。離れて暮らしている子どもに相談して一緒に役所に掛け合ってもらおうと思っている。」と、いつもになく興奮気味で話し続け、しまいには少子化対策優先政策への批判にまで彼女の舌鋒は及んだほどでした。

しかしこの方が立腹するのも当然なのです。あなたが慢性の病気で定期的に病院に通っているとします。病院や調剤薬局での支払いが来月から今の3倍になりますよという通知が突然届いたとしたら、あなたは納得できますか? 3倍になると聞いてそんな馬鹿なと思われるかもしれませんが嘘ではないのです。(正確には9月から2倍、10月から3倍ですが…)

10月からの老人(70歳以上の人)保険料の改定で、「一定以上所得者」(現役並みの所得がある人です。具体的には年収ベースで484万円以上の老人)の窓口負担率が現行の2割(一般の老人は1割負担)から3割に引き上げられることは御存知の方も多いかもしれません。余裕のある人に応分の負担をしてもらうのはしょうがないじゃないかという意見の方もおられるでしょう。ところがここにもうひとつ仕掛けがしてあるのです。税制改正によって70歳以上の「一定以上所得者」の判定基準が年収383万円以上に引き下げられたのです。

先の老婦人はこの年収ベースで383万円から484万円の間であったため、今までは1割負担で済み、御本人も自分は”金持ち老人”には入ってないと認識されていたでしょうし、10月からの3割負担への移行も他人事として聞き流していたはずです。自分の収入が増えたわけでも何でもないわけですから、彼女にとってはまさに青天の霹靂で絶対に納得がいかないでしょう。(おまけに介護保険料の負担増という追い打ちもかけられています。)

Koizumisagi_1

医療にかかる費用の多寡に貧富の差は関係ないわけですから、年収で窓口負担率を分けるのは奇妙な話です。ましてや484万円とか383万円などの中途半端な境界線で、(簡単に言ってしまえば)”金持ち老人”と”一般老人”を分けて、倍の(10月からは3倍の)支払いを要求するとは何と無茶苦茶な話でしょうか。悪政、苛政とはまさにこのことです。年収に応じて応分の負担をしてもらうのなら、一定のもしくは累進的な掛け率をもうけないと不公平です。何より老人保険以外の一般の国保や社保においても、世にあまねくおらせられる大金持ちや小金持ちのセレブ様たちにも応分の負担をしてもらわねば納得がいきません。先の老婦人がいみじくも言われました。「文句の言えない自分たちが狙い撃ちにされている」と。

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開業して20年近くになりますが、医療行政についてこんなにも腹が立ったことはありません。小泉”改革”は着実に人々の心の奥深くマグマを蓄積させつつあるようです。次の方はそれを共謀罪に代表される警察力や、海外派兵などの軍事力でねじ伏せようと考えているのかもしれません。

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2006年8月15日 (火)

8月15日

Hiroshima

61年前の8月15日、私たちの国日本は敗戦を迎えました。日本中の都市が焼け野原となり、広島・長崎は地獄と化し、地上戦が行われた沖縄でも多数の住民が死傷しました。中国大陸で、また南方の島々やインドシナで多くの兵士たちが、その尊い命を奪われ、また同じように尊い、敵兵やその地の住民の命を奪いました。戦争さえなければ皆、それがどんなにちっぽけなものだったとしても、夢や希望や幸せをそのかけがえのない人生で実現できていたでしょう。殺し、殺された人々の誰が好んで人の命を奪おうと、それまで思っていたでしょうか? 戦争さえ無ければ、どんなに違った人生だったでしょう。8月15日は私たちが、戦争は何もかもを奪い尽くすまで続くことを取り返しのつかない犠牲を払って思い知った日です。

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そして私たちは、二度と戦争をしないことを誓い、戦争放棄を唄った世界に誇る今の平和憲法を受け入れました。以来この60年間、私たちはどの国とも戦いを交えることなく、一人のよその国の人の命も奪うことなく、一人の日本人も国の命令で戦死することはありませんでした。

今日はそう言う意味で「平和の原点」、「平和の記念日」です。
今の平和な日本が生まれるための貴い犠牲となった全ての人々のご冥福を心からお祈りするとともに、今のまだ、辛うじて戦争に巻き込まれていない幸運をおおいに祝い合おうではありませんか!

Yasukuni

戦争で亡くなった人々を追悼すると言って、戦争遂行のために戦前造られた神社の参拝にこだわる政治家がいます。それに反対する人々に対し、非国民呼ばわりし、反対しているのは一部の外国だけだとうそぶく人たちがいます。戦争で亡くなった人たちを追悼する気持ちのない人がいるでしょうか? 人間として当然の自然の感情です。そしてその感情の表し方は人それぞれあるはずですし、それぞれの宗教観もまた千差万別でしょう。それなのにあるひとつの宗教の形式の参拝にこだわり、反対や懸念の声があることを当然知りつつ、強引に参拝する。私にはこれが、自然な追悼の気持ちの表出とは間違っても思えません。何らかの意図があることなのでしょう。

本来政治家の仕事は国民の生命と財産を守り、最低限でも幸せな生活を保証することでしょう。それからすれば戦争というものは、政治家が他の何を差し置いても回避しなければならないもののはずです。戦争こそが、国民の生命も財産も、最低限の幸せな生活も何もかも奪い取る最大の厄災だからです。周囲の国と緊張関係をわざと作りだしたり、軍備の増強を主張したり、さらには先制攻撃を主張したりと勇ましいことを言う政治家は、その最低限の仕事を放棄した無能の役立たずです。

Koizumisagi

靖国神社に祀られている人々は、その”魔の手”から祖国やそこに住む愛する家族を守ろうとした、まさにその主要な敵国であった米国に国富を売り渡し、そのお先棒を担いで大義のないイラク戦争に自衛隊を派遣し、自分たちと同じ運命にあわせたかもしれない今の首相が、参拝することを果たして喜んだでしょうか?

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天皇の扮装をさせた信者にぬかずかせるような教祖を持つ似非キリスト教の合同結婚式に祝電を送って、「地元事務所がしたこと」と平然と言い放ち、「敵基地攻撃能力を持て」、「核武装せよ」と公言する次期首相最有力候補が参拝して、嬉しいでしょうか?

戦争とは、無条件降伏で絞首刑にでもならないかぎり絶対に自分たちは死ぬことのない、無能で役立たずの政治家が始めて、それに迎合したマスコミが好戦的な世相を創り出し、踊らされた普通の人々が、残酷に、惨めに、情けなく死んでいくことです。

8月15日は、この国が戦争の愚かしさ、平和の尊さを思い知った記念すべき日です。戦争賛美の軍国神社にお参りする日ではありません。

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8.15

Peaceday3


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2006年8月 5日 (土)

「平和の日おめでとうございます!」

大分に赤とんぼの会(問い合わせは大分市の「みんなの家」TEL 097-545-3134)というのがあります。

「戦後政治の総決算をめざす改憲論者、中曽根首相が登場したことに不安を抱いた」同市内の主婦たちが昭和57年末に作った会で、毎年8月15日に「平和憲法9条を守ろう」という意見広告を地元紙も含めて主要五紙に出しており、今年で二十四回目となるそうです。趣旨に賛同する広告主一人一人の名前(匿名も可)を載せる形(写真参照)を続けており、昨年は他県からの参加も含めて三千二百六人の賛同者を得たそうです。

以前からその存在は知りつつそれほど関心は持っていませんでしたが、今年は妻の友人に勧められて、一口広告主になりました。(8月7日が締め切りだそうです。)

Akatonbo

毎年たった一日だけ、それも虫眼鏡で見ないと見えないくらい小さな名前の集まりは、それこそごまめの歯ぎしりにしか見えないかもしれません。ただ実際の紙面を見ると印象は随分違います。日々の生活に追われ、いつもはこの種の意見を声高には発していないであろうごく普通の人々がこんなにも沢山いて、機会さえあれば平和への意思表示をしたいと思っているのだなあと感動してしまいます。

しかるに8月4日の新聞紙面では小泉首相が8月15日の終戦記念日を軸に靖国参拝を検討しており、その理由が「参拝に反発して首脳会談を拒否する中国の要求に屈する形になるのを避けるべきだと判断」したからとのこと。まるで靖国参拝に反対しているのは中韓だけで、国内には反対意見は無きかのような報道の仕方です。

1年にたった1回、一口1000円のお金を都合して自分の意見をようやく新聞紙上に(それも恐らく全国版ではないと思います)載せられる人々の声は、毎日の怒濤のような興味本位の事件・事故報道や人々の劣情に訴える低俗な番組の前では殆ど顧みられることがないのが現実でしょう。

だからといって、ただ手をこまねいていては彼らの思うつぼです。8月15日の参拝にこだわる小泉首相ですが、もともと8月15日はこの国に住む我々全てにとって特別な日、おおいにこだわらなければならない日です。何もかも失なった焼け野原の中で、この国に住む殆ど全ての人が、「戦争では何も解決しない、戦争は何もかもを奪い尽くすまで続く、戦争は庶民にとって最大の不幸だ」ということを思い知った日です。

いわば「平和の原点」「平和の記念日」です。その反省に立って私たちは、二度と戦争をしないことを誓い、戦争放棄を唄った世界に誇る今の平和憲法を受け入れたはずです。8月15日は小泉首相にとってではなく、戦争を憎み平和憲法を守り続けようとする私たちにとってこそ、こだわり続けその意志を見せ付けるべき日です。

さいわい今の私たちにはネットがあり、ブログがあり、メールやファクスがあります。

8月15日は皆で一斉に、反戦や護憲、平和のメッセージのバナー(どなたか誰にでも受け入れられ、かつ印象的なものを作ってくれれば有り難いのですが…)を張り、新年の挨拶のように「平和の日おめでとうございます!」のメッセージ(もっと気の利いた表現があれば大歓迎です。)をメールやファクスで(年賀メールや年賀ファクス送るように)知人や会社、組織、果ては新聞社、放送局、政党事務所や議員事務所にまで送りつけ、靖国参拝など吹き飛ばしてしまおうと思うのですが如何でしょうか!

新聞やテレビがその日首相の靖国参拝のニュース一色でも、へこたれずに済みそうなので私は実行します。

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