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2006年9月の5件の記事

2006年9月29日 (金)

こうせつの叫び

Tumagoi

ハイビジョンで生中継された「拓郎&かぐや姫−つま恋2006」の録画の一部を姉の家で見せて貰いました。BS2で放映される10月29日が楽しみです。


「あの人の手紙」を歌い終わったこうせつが「、、、、この31年間いつのまにかわれわれ大人の意志で戦争も平和もどっちも選べる立場にわれわれなってしまったわけですね。、、、こういうことがないようにわしらが子どもたちのために世界に平和の国をつくらんといかん!おねがいします!平和国家を目指そう!やろうぜ!」と叫び、会場から共感の歓声が上がった場面が印象的でした。


と同時にその慎重な言い回しにやるせなさを覚えたのも事実です。思ったことを自由に叫べない社会、反対意見を言うと家に火をつけられる社会、思想信条の自由を守るために裁判に訴えないといけない社会、右の人、左の人、上の人、下の人、全ての皆さんにお尋ねします。そんな社会を目指してこの国は戦後を歩んできたのですか? そんな社会を目指して、汗水垂らして皆一生懸命働き、泣き笑いしてきたのでしょうか?


十数年前に床上浸水を経験したことがありますが、一面泥の海になった我が家を見て途方に暮れ、おおいに気持ちが萎えてしまったのを今でも鮮明に思い出します。ましてや自らの発言を封殺せんが為に、思い出の詰まった我が家を丸焼けにさせられたら、どんなに悔しく恐ろしいことでしょう! 私なら足がガクガク震えて止まらないでしょう。卑劣極まりないことですが、政府やマスコミがあんなに消極的な態度なら今後も続くでしょう。


また日の丸・君が代に反対して降格や減給の処分を受けそうになったとき、「何でそんなことにこだわるの、ただ日の丸に頭を下げるだけじゃない!」と妻や子供に泣きつかれたとき、果たして私なら法廷闘争にまで突き進むことができるかどうか甚だ自信がありません。


映画「Always3丁目の夕日」の時代の抜ける青空のような自由と解放感の中で生まれ育った私たちが若者に成長した頃には、納得のいかないことに元気よく、そして屈託無く「異議あーり!」と叫ぶことができました。今の世の中にそんな雰囲気は感じられなくなりつつあります。重苦しい空気がこの国を覆いつつあります。個々の仕事に専念していたり、毎日がお正月番組のようなテレビばかり見ている分には何らその変化には気付かないかもしれません。しかし安倍晋三さんの公約や主張(新教育基本法、共謀罪、憲法9条の廃止)が現実のものになってしまったら、もう「平和を選ぶ」こともできないでしょう。

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2006年9月23日 (土)

右翼とライトさん

Tanaka320_1

オーマイニュースの鈴木邦男コラムで「赤軍と民族派の友情」という記事を見つけました。私の年代以上のものにとっては気になる記事ではないでしょうか。


当時の反米運動も、政治闘争も虐げられているものを解放したいという、純粋にこの国、そして世界を思う気持ちから発せられていたことがしみじみと思い出されてきました。それにひきかえ、今のネット右翼と称する人たちには弱者を集団でつつくような、小中学校のいじめの延長のような性根の悪さが透けて見えます。


私はそういう人たちを本当の右翼とは思いませんし、かれらが”右翼”と強弁するなら、右は右でも海のずーと向こうの右側の”美しい国”専属の”ライトさん”なのかなと思ったりしています。


お玉おばさん9月10日の記事

日本国民の為じゃなく、アメリカに追随したくて、改憲をしたがっている人たちが「右翼??」鈴木邦男さんもそりゃ嘆くよな・・(最近彼を「サヨク」扱いする若者もいるらしいけど・・)

と書いておられますが、真の右翼の方はこんな世相をどう思われているのでしょうか。右翼対左翼のようにあつらえられてはいますが、ネットの現状は憂国者売国者のせめぎ合いなのでしょう。


*写真はオーマイニュースからの引用です。

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2006年9月16日 (土)

階級史観

自民党総裁選の討論会で谷垣さんが安倍晋三さんに言ったことに対する答えで飛び出した言葉です。


 アジア外交をめぐっては、谷垣氏が「日中国交正常化をした時に、中国は戦争指導者と一般の日本国民を分けて国民に説明した経緯があった」と指摘すると、安倍氏は「そんな文書は残っていない。国と国とが国交を正常化するのは、交わした文書がすべてなんだろうと思う」と反論。そうした記述が国交正常化の際の文書に残っていないことを強調した上で「日本国民を二つの層に分けることは、階級史観風ではないか、という議論もある」と批判した。

「とりあえず」「反戦老年委員会」で既出ですが、安倍晋三さんの本質が如実に表れている気がするので、数日遅れですが私も取り上げます。安部晋三さんの「階級史観」という言葉の用法のおかしさは、luxemburgさんが丁寧に説明してくださっているので御覧下さい。ただ私にはそれ以前の問題として、安部晋三さんの冷たさと子供っぽさがこの発言にはいみじくも現れている気がしてなりません。


大きな迷惑をかけた相手の国を思いやる気持ちはみじんもなく、相手国の特異さ、異端さ(あくもでも御本人にとってのと断っておきますが)をことさら話題に持ち出し、少しでもその相手を擁護する意見には「あんたもそれに与するのかい、そっち側の人間かな?」という論調で応ずる。小中学生のいじめっ子やネットの匿名掲示板でならさもありなんですが、いやしくも自民党総裁選の討論会です。頭のよい谷垣さんは何と思われたでしょうか。


総裁選でのこのような発言や、著名人の評価安晋会を追求された際の国会での狼狽ぶりと、マイナス面ばかりが私には感じられてしまいます。より近くで彼の言動に接しているはずの自民党の国会議員達があんなにも多数支持に回るのはどういうことなのでしょうか。私にはさっぱりわかりません。

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2006年9月 8日 (金)

がんばれ、皇太子御一家!

Prince

以下は、私の親しい人が出席したある食事会でのひとこまで、正真正銘の実話です。


その人物は口をもぐもぐさせながら、ひとしきり紀子さんの男児出産と御一家のことを賞賛した後、雅子さんや愛子さんについて「あの一家は外国に行った時はあんなにニコニコ笑って、そんなに外国がよければ向こうに永久に行ってしまえばいいんや、ガハハハハハ!」と嘲笑したそうです。周りにも同調者が多く、私の知人はびっくりしたそうです。


隣国の人々や、高齢者、生活保護を受けている人々に対する彼らの態度は、前からこの知人に聞いて知っていましたが言わずもがなです。


いったいこの人達はいつから、反皇太子派になったのでしょうか。皇太子の御成婚時や愛子さんが生まれたときには諸手を挙げて、お祝いした人達だったはずです。私には皇太子や秋篠宮がそれぞれどのような考えをお持ちなのか知る由もありませんが、今の天皇と皇后が営々と築き上げてきた戦後の皇室のあり方を否定しようという大きな力が働いてきているようで、とても心配です。

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2006年9月 3日 (日)

拝啓、安部晋三さん

Tank

安倍晋三さん、私は国民を戦争の惨禍から守り抜くことが、政治家の最低限の役割だと考えます。従って好戦的な言動をする政治家は、最低以下の役立たずの政治家だと思っています。日本を戦争のできる国に変えようとしたり、核武装を唱えたりする政治家はまさにそういう政治家だと考えています。あなたがどんな考えをお持ちかはマスコミを通してしか知る由もありませんので、以下は私の政治家に対する一般論としてお読み下さい。

Boyvstank

安倍晋三さん、政治家にとって強力な武器や強い軍隊があれば、それはそれは外交や国内の統治も容易なことでしょう。ぼんくらな政治家にとってはこんな有り難い物はありません。全面戦争になって無条件降伏でもしない限りは、まず自らの命を危うくすることもありません。相手が格下の小国なら、空爆とか洋上封鎖とか、特殊部隊による急襲とか、あの手この手が思いのままでしょうし、作戦が旨くいって国民の喝采を受ければ、さぞや統治者冥利に尽きるでしょう。

Kill

でも安倍晋三さん、どんな小規模な戦闘でも、戦争は殺人が目的ですからたいていの場合人が死にます。毎年繰り返される台風や集中豪雨での犠牲を例に出すまでもなく、一人一人の人間は本当にかよわい存在で簡単に死んでしまいます。ましてや戦争は自然災害ではありません。何よりも人の命を奪うことが目的です。災害で運悪く命を失うのと違って、はっきり命を狙われて殺されるのが戦争です。敵であれ、味方であれ、死ぬのは生身の人間でその死を嘆き悲しむ家族や友、恋人がいるはずです。

Kishi

安倍晋三さん、私はあなたと同世代の名も無き男です。あなたに50有余年の華麗な人生があるように、私にも50有余年の悲喜こもごもの、思い出深く愛おしい人生があります。意見も何も言えず、人から取るに足らないと思われている人達にも、どんなにそれがちっぽけなものであったとしても、やはり他の何物にも代えられぬ大切な人生があります。戦争はそのかけがえのない人生を容赦なく奪い去ります。しかも、決して戦争を始めた政治家からではなく、戦争に行かされる多数の名も無き庶民から先にです。

Yasukuni_1

安倍晋三さん、そういう人たちを靖国神社に英霊として祀ってあげて、残された家族を手厚く慰めさえすればそれで済むと思っている偉い(と自分で思っている)人たちが多いのには怒りさえ覚えます。彼らがどんなに心から弔意を示し、その時は本気で泣いて遺族に接したとしても、その気持ちが彼らの心の片隅に追いやられるのに半日も必要ないでしょう。

Bomb

安倍晋三さん、もし次の首相が平和憲法を捨て戦争のできる国にする方針の方なら、その新首相に是非お伝え下さい。「どこかを空爆するときは、自分が攻撃機に同乗して爆弾投下のスイッチを押して下さい。洋上封鎖するときは、指揮艦の舳先に颯爽と立っていて下さい。特殊部隊の一員として敵地に乗り込んでいただいても結構です。核兵器の発射ボタンを押したあとは、一撃で相手を殲滅して絶対に反撃の核攻撃は受けないことを国民に示して安心させるために、皇居前広場で格好良く演説をし続けて下さい」と。

Rtw

えっ、万一のことがあったら指揮官を失ったこの国はどうなるのかですって? 安倍晋三さん、幸いこの国にはあなたを始めまだまだ才能のある人が山ほどいて、すぐに後釜は埋まりますから御安心下さい。もちろん御国のために命を捧げた首相の霊魂は靖国神社で手厚く慰霊されることは言うまでもありません。御家族もさぞや名誉なことでしょう。

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