左ということ
知り合いの若い人の知人が私のビラを見て、「この人はだいぶ左だね。」と言ったそうです。最初ほめられたかと思いましたが、どうやら今の時代、「左」のレッテルはけなし言葉だったようです。
私によくコメントを下さる竹島島民さんへの返事でも書きましたが、私は最近の石原慎太郎さんが好きではありません。よその国やその国民を小馬鹿にした傲慢な態度を感じ取ってしまうからです(あくまでも私の主観ですから、ファンの方は気を悪くされないで下さい)。私は石原慎太郎さんに限らず、人を、とくに自分より弱い立場にある人を押しのけたり小馬鹿にする人が大嫌いです。これは国の場合でも同じで、古い話で恐縮ですが、私が中学生の頃のソ連のチェコ侵入や、20代の時の中国のベトナム侵攻(確か懲罰的侵攻などと言っていました)やその後のソ連のアフガニスタン侵攻も腹が立ってしょうがありませんでした。これは私がよくTBしあっている人たちにも共通の認識だと思います。
このあたりのところが、意識的にかどうかわかりませんが、「左」をけなし言葉に使っている方々の認識から抜け落ちているところだと思います。左=共産主義と決めつけ、従って中国や北朝鮮のすることには何でも賛成する人たちだという方向に持って行きたいようです。私は中国や北朝鮮で自由のために闘っている人たちも左だと考えています。要は全体主義に反対する勢力を広く左と考えています。政治学のせの字も知らない一町医者の幼稚な意見に過ぎませんが…。
何故このようなことを書くかというと、このあたりを間違えてとっているから、私たちをやり込めようとするとき、何かまるで水戸黄門の印籠のように北朝鮮による拉致事件を持ちだすのだろうなと思うからです。私は2人の子供の親ですが、いったい子を持つ親で拉致事件の当事者達に心を痛めない人がいるでしょうか。もし自分の子供が同じ目に遭っていたらと思うと気が遠くなりそうです。愛しい我が子を持つ親なら誰が拉致被害者の御家族を非難したり、揶揄したりするでしょうか。政府に不満を漏らした拉致被害者の御家族にブーイングを浴びせるようなことも決してしないはずです。
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