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2006年12月10日 - 2006年12月16日の2件の記事

2006年12月15日 (金)

百万円で子供達の未来を買い取った男

Abef_2

やらせのタウンミーティングの責任やけじめの取り方は、やはりもう一度公正な人選で、それこそ”オープン”にNHKのテレビ中継も入れて、全国民の目の前でやり直すことではないでしょうか。給料の返上というやり方がどうしても納得できません。まるで依頼者にお金を払っていたことだけが悪かった、返せばそれですむと言わんばかりです。


新聞の論調や世論調査でも慎重な審議を望む声が多い教育基本法の改正案ですが、安倍さんはなぜこんなにまでして急ぐのでしょう。国民がテレビに洗脳されきった今を逃さず、参院選までの短い期間に、今までの保守政治家達の懸案をごり押ししてでも通してしまい、歴史に名を残そうというのでしょうか。


もしそうお思いなら安倍晋三さん、あなたは百万円で子供達の未来を、ひいてはこの国の未来を買い取った男として永久に名を残すことでしょう。


「百万円出せばあとはテレビが世論をなだめてくれると思っているのか」と最初書こうとしたのですが、テレビは松坂のメジャー移籍契約成立の話や、ある国会議員が自己破産したとかの話ばかりをまた鳴り物入りで伝えているだけでした。

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2006年12月10日 (日)

テレビ局を取り囲め!

Tvstation_1

生まれてこの方デモというものに参加したこともなく、今後も大都会のデモにはまず参加できようもない私が言うのもおこがましいのですが、テレビ局こそデモをかけ、人間の鎖で取り囲むべき対象ではないかと最近つくづく思うのです。

よくマスコミは第4の権力などと言いますが、いまやテレビ局は権力の出城(いや総本山かな?)のような勢いです。あの議員先生方にでさえまだ我々には投票という異議申し立ての手段がありますがテレビ局はどうでしょう。どうやって異論を唱えたらよいのでしょうか。テレビ局が権力と結びついたとき私たちはどうやってそれに立ち向かえばよいのでしょう。テレビ局が権力者やその周辺の人々のテレビへの露出度を意識的に多くしただけでも、それは何億円もの広告に匹敵すると思います。企業がそんな額のお金を政治家に渡して何らかの見返りがあれば即、贈収賄事件ですが、この方法なら立件は中々難しいでしょう。

Morita_1

国会にデモをかけたり、議員さん達にファックスを送るのも有意義なこととは思いますが、議員達にとってもテレビでどう報道されているかが一番気懸かりなことであり、判断の材料の大きな部分を占めているのではないかと思います。テレビ向きの派手なパフォーマンスをする政治家や評論家は必然的にテレビへの露出の機会が多くなり、テレビと一体となって世論を誘導していきます。それに異議を唱えようとする政治家や評論家がいても、テレビに出して貰えなくなれば多くの人にその意見を発することすらできません。それどころかテレビで悪者と決めつけられたらもうその人の社会的生命は終わったようなものです。一方テレビで人気者に仕立て上げられれば、怪しげな占い師も皆大先生呼ばわりです。

直接受信料を取られるNHKに対しては文句を言う人たちも、本当は必要もないし欲しくもなかった物を、巧妙なコマーシャルで、それが無いと夜も日も経たないような気にさせられて買わされてしまいます。その結果NHKの受信料よりよほど高い出費をさせられていることには気付かず、どんどん下品になっていく番組を相変わらずポカンと見続けています。視聴率を上げるためにこれでもかこれでもかとどぎつい番組が増え、コマーシャルは人の目を引くのにますます手段を選びません。無料だからNHKより余程いいと勘違いし、番組の内容の無さにさして腹も立てず、逆にその番組のスポンサーの商品の絶え間ないCMに目がくらみ、欲しかった物と勘違いして我先に買いあさります。テレビ局は視聴者からではなくスポンサーからお金を貰っているわけですから、ちょっとくらい視聴者から抗議が来ようとどこ吹く風で、それで注目されて視聴率でも上がればむしろもうけものです。視聴者は視聴者でその番組の複数のスポンサーに一々抗議したりわざわざ不買運動などもしないでしょう。第一テレビが取り上げてくれなければ不買運動も広がりはしません。本当に巧妙なシステムができあがったものです

Beheiren_1

先日私の住む県では珍しい数千人規模の大規模なデモを駅前で目撃しました。教育基本法反対のデモでした。長い長いデモの隊列に感動し、とても勇気を貰いましたが、地方に住む我々がそんなデモに遭遇することはまずありません。私が幼い頃「安保反対!」とデモの真似をして親を笑わせていた60年安保闘争も、多感な時期に自分なりに社会や国について考え始めるきっかけとなった新宿フォークゲリラやべ平連のデモ、大学紛争を始めとする70年安保前後の争乱も、その鮮烈な記憶はすべてテレビの画面を通して刻み込まれたものでした。インターネットの無い当時、テレビで伝えられなければ、地方で育ち大学も含めてすべて地方で学生生活を送った私に今ほどの影響は与えなかったのではないかと思います。

テレビが権力側に付きつつある(希望的にそういっておきますが…)ことはとてつもなく恐ろしいことの始まりです。何とかしなければと思うのですが、手だてがありません。ただNHKを始めとして個々の番組をみているとまだテレビ局の内部にもいろいろなスタンスの人たちがいて、一様ではないなと言う気がします。しかし目の回るような忙しい現場でしょうから、じっくり考える間もなく大きな流れに流されていってしまいつつあるというのがそこで働く人々の現状ではないでしょうか。そんな彼らに「ちょっと待ってよ、今の世の中に危機感を持っている人たちがこんなにも沢山いるよ!、あなた達はどう考えてるの?」と問いかけるためにもテレビ局への(もちろん平和的な)デモや人間の鎖は有効な手段ではないでしょうか。

冒頭にも書きましたが、私が都会の大きなデモに参加することはこの先もまず無いでしょうが、一人プラカードを掲げてでもテレビ局で働いている人々に訴えかけ、ビラを配りたい気持ちでいっぱいです。

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