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2007年5月の6件の記事

2007年5月31日 (木)

シリーズ医療も命も削られる(1)-後編

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なぜ起こった? 医師不足(後編)

前編では医療にお金をかけない国の姿勢(低医療費政策)が、医師不足の根本原因であることを述べました。

これに対して政府・厚労省は医師の「偏在」を強調し絶対数の不足を認めようとしません。それどころか昨年(2006年)7月に発表された「医師の需給に関する検討会」の報告書では、当初「医師数全体の動向としては、充足の方向にあると考えられる」という原案が厚労省側から提示されていたそうですから驚きです。

御存知の方もあるかもしれませんが、全国の医師不足は研修医制度の転換によって引き起こされているのが特徴です。現場の労働力不足(医師の絶対数の不足)の穴埋めに使われてきた研修医の安易な利用ができなくなったため、何とか持ち堪えてきた医師不足が顕在化してしまったと言われています。厚労省の言うように医師が基本的に充足しているのなら研修医制度が変わったからといって医師不足は起こらないはずです。

最近でも医師不足対策として、やれ地方の中核病院の医師を医師の足りない病院に派遣するとか、医学部の入試に僻地枠を設けて僻地への赴任を義務づけるとか、様々な施策が新聞紙上を賑わしていますが、どれも医師の偏在を前面に押し出した論調です。しかしこの間にも私の住む県でも、県内有数の市で分娩を行う産科が皆無となったり、別な市では医師不足から夜間の救急医療が不可能となり、1時間以上もかけて県都まで搬送しなければならなくなったりと、事態は深刻さを増しています。

では政府・厚労省は何を根拠に医師の絶対数の不足を認めようとしないのでしょう。上記の報告書では次のように論じているそうです。


  • 現在医療施設に従事している医師数25.7万人でその平均勤務時間数週51時間

  • 平均勤務時間数を週48時間にするためには計算上26.6万人必要

  • 差し引き9千人の医師が現在の不足数

確かに僅か1万人弱の不足と捉えるなら、「充足の方向にある」との報告や医学部定員の僻地枠増員(5人程度)による偏在の解消も理解できないことはありません。しかし週51時間を48時間にとは現実離れも甚だしい数字の遊びにしか見えません

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私の所は医師が私一人、看護師さんと医療事務の方をあわせても10人に満たない診療所です。勤務時間を過ぎた場合は職員の方には切りのよいところで帰って貰うようにしており、他にも有給以外に月1回の特別休暇を取って貰うようにしたりと様々な努力をしています。職員の人達にとっては決して過酷な職場ではないと思いますが、それでも週48時間を超すか超さぬかくらいの勤務時間になってしまいます。

私自身で言えば診療時間外は診療情報提供書(いわゆる紹介状)や介護保険の主治医意見書、医療保護や保険の診断書などの書類書きに追われ、その他の法人としての事務仕事(事務長兼職ですので、請求書の整理、給料計算、会計監査の準備や雑多な入出金)も加わるため、週60時間前後の労働時間になります。休日・深夜の呼び出しや頻回の宿直・夜勤、さまざまな会議に追われている勤務医も含めた平均勤務時間が51時間とはとても信じられません

委員の抗議もあって報告書では医師の拘束時間全体を対象にした場合の不足医師数のデータも紹介されていますが、その数は一気に6.1万人に膨れ上がります。しかしこの場合も「休憩時間(実際には患者さんを待って待機している時間)や自己研修(他の分野に劣らず日進月歩の医療の世界です。たいてい夜間や休日に様々な研究会や講習会が催されていますし、2,3日の出張となる学会も趣味で行くわけではありません。)は勤務時間とはみなされない」として切り捨てているそうです。これらの時間も考慮に入れれば不足医師数はもっと多くなるはずです。実際前編でとりあげたように諸外国との比較という視点で見れば、人口1000人あたりの医師数はフランスやドイツの水準になるにはあと18万人、OECD平均の水準でもあと14万人も足りません。

それでは厚労省がかくも「医師は充足の方向にある」と強弁するのはなぜでしょうか。この小冊子では「医師を増やせば増やしただけ医療費が増える」という考えが政府・厚労省の根底にあるからだと断じています。その論拠として以下の2つをあげています。

「94年の検討委員会・最終意見の要約」 「医師数の増加が医療需要を生み出すという傾向は否定できない事実であり、医師数の増加に伴う医療費の増高についての影響は、病院勤務医1人当たり年8,000万円、開業医1人当たり年6,000万円になるという試算もある…国民医療費の激増を招かないためにも、医療の質の確保という面からも、医師過剰状態を生じさせない対策が求められている。」
「98年の検討会報告書」 「医療サービスには市場原理が働きにくく、むしろ『供給が需要を作り出す』側面がある。…医師数の過剰な下にあっては、医療費の増加を経済的に負担可能な範囲内にとどめられず国民の利益を損なうこととなる。」

医療費を抑制するために、医師を増やさないという政府・厚労省の意志が色濃く認められます。それに対してこの小冊子では
医療の需要は、医師が作りだすものではなく、社会が作りだすものです。科学技術の発展、長寿化、格差社会やリストラ社会、あるいは自殺大国など、さまざまな要因で、医療を求める人々が作りだされているのです。
と述べ、医療費の削減から医師数問題を考えるという政府の逆立ちした考えが、日本の医師不足問題の大きな原因になっていると結論づけています。

*次回は低医療費政策の最大の手段として、長年政府が行ってきた「診療報酬抑制」についてです。

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2007年5月25日 (金)

屁理屈

Miyauchi

五十嵐仁の転成仁語で知りましたが、内閣府の審議会である「規制改革会議」再チャレンジワーキンググループ・労働タスクフォース(何でこんなに横文字ばかりなのでしょう?)が5月21日に出した答申はもうやりたい放題の内容です。

以下はその答申の前文からの抜粋ですが、分かりやすくするために箇条書きにして番号をふりました。全体が見たい方はコチラにあります。


一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている。

  1. 不用意に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させることにつながる。

  2. 過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果となるなどの副作用を生じる可能性もある。

  3. 正規社員の解雇を厳しく規制することは、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く。

  4. 一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付けることは、正規雇用を増やすどころか、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする。

  5. 長時間労働に問題があるからといって、画一的な労働時間上限規制を導入することは、脱法行為を誘発するのみならず、自由な意思で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益と、そのような労働によって生産効率を高めることができる使用者の利益の双方を増進する機会を無理やりに放棄させる。


まずに関しては、現在の最低賃金では暮らしていけない、生活保護費よりも低い収入になってしまう所謂ワーキングプアといわれる人々の問題を、”生産性”という彼らの大好きな言葉を使って個々人の能力の問題にすり替えています。個々人がつましくも生活していけるようにという観点がすっぽり抜け落ちているので、このような考え方になってしまうのでしょう。さらにはこの考えは現在の生活保護費の引き下げにも口実を与えかねません。
についても逆立ちした考えだと思います。結婚や育児、介護で働きたくても仕事を辞めざるを得ない立場に得てして女性は追い込まれやすいという現実を無視した経営者側の口実にしか思われません。
,も実に狡猾な論法だと思います。労働者の側に立つふりをして、そのじつ経営者側の横暴や脱法行為は自然に”誘発される”ことで片付けられています

とにかく「規制を設けると脱法行為などを誘発するからやめたほうがよい」ということのようですが、かれらの違法行為や脱法行為から労働者を守るためにこそ、これらの規制が設けられてきたのではなかったのでしょうか? 速度制限を設けると違反者が出るから速度制限は撤廃した方がよいと、運送トラックの会社が進言しているようなものです屁理屈とはまさにこのことでしょう。

この種の審議会は経営者や学者のみで構成されていて不公平ではないのかなと以前から思っていましたが、そのとおりのようです。

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2007年5月19日 (土)

辺野古の海と東国原知事

あいかわらず辺野古の状況は殆ど報道されません。ワイドショーをよく見ている妻に尋ねてみましたが、まったく目にしていないそうです。ワイドショーの合間にある短い”ここで報道局からニュースです”云々の時間に報道されたのかも知れませんが、もしかするとこの時間はCMより視聴率が低く、トイレタイムになっているのかも知れません。

N_taira

今朝の新聞の一面も、拳銃立てこもり男の投降(!?)が大々的に報じられており(もちろん一人のかけがえのない命が奪われたこの事件を軽視しているわけでは決してありませんが)、辺野古の記事は片隅にも見つけられませんでした。米軍のための基地を地元の反対を押し切ってこの国の政府は無理矢理つくろうとしており、沖にはこともあろうに自国の軍艦を配備して威嚇する。そしてその事実をこの国のマスコミは殆ど国民に知らせようとしない。本当にやりきれないですけど、これが今の我が国の現実です。

S_higashi

一方、私が昨昼垣間見たワイドショーにも、妻が夜見ていたバラエティ番組にも宮崎県の東国原知事が出演し笑いを取っていました。昼のワイドショーでは裏金の問題で”正義のテレビ”が知事を応援して追求を始めそうな雰囲気でした。また夜のバラエティでは、東国原知事就任後の1週間で、専門家の試算によるとその経済効果(最近よく使われますが、何か胡散臭い言葉です)は百数十億円にのぼることが彼の口から述べられ、周りの出演者達から賞賛の声が上がっていました。たしかハナワの唄う”SAGA”でも経済効果がどうのと言われていましたが、それで佐賀県民や宮崎県民が幸せになったのでしょうか。困っている人に救いの手が差し伸べられ、医療や福祉や教育に心配のいらぬ住みやすい県になっていくのでしょうか

臍曲がりの私にはかつて観た映画「トルーマンショウ」が脳裏に浮かんできてしかたがありません。宮崎県政がテレビのオモチャにされなければよいのですが…。

*映画「トルーマンショウ」について検索していたら、下記のサイトが興味深かったので勝手にリンクを張りました。(文章はかなり以前に書かれた物だと思います)
”カルチャースタディーズ” :http://www.culturestudies.com/memdir/index.htm
サイドバー内のTEXT ARCHIVEをクリックして出てくるリストの中の「現代社会の矛盾の象徴としての郊外ニュータウン」という文章にリンクを張っています。

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2007年5月16日 (水)

シリーズ医療も命も削られる(1)-前編

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なぜ起こった? 医師不足(前編)

シリーズ医療も命も削られるの第1回目(前編)です。

マスコミで盛んに医師不足の話題が取り上げられ、産科のみならず、小児科、外科、そして救急を受け入れる病院が地域から姿を消していく深刻な事態となっています。それについてこの小冊子では二つの原因を挙げています。医師の絶対数の不足と、その配置や待遇を病院や自治体まかせにしてきたことの二点です。そしてそれらは「医師を増やせば増やしただけ医療費が増える」という政府(厚生労働省)の逆立ちした考えが大きな原因になっていると断じています。

絶対数の不足


  • 政府が長年医師養成を抑制してきた結果、Iryo3医療施設で実際に働く医師数は総数約25万9000人人口1000人あたりで2.0人とOECD加盟国30カ国中、何と27位という低水準となっています。(右図:クリックすると拡大します)
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  • フランスやドイツの水準(3.4人/1000人)になるにはあと18万人、OECD平均の水準(3.1人/1000人)でもあと14万人も医師数が足りません。(右図:クリックすると拡大します)

配置や待遇の不備

産科や小児科、救急医療など24時間体制で容態の急変などへの対応が求めらる分野は十分な費用が保障されないまま今日にいたり、恒常的な不採算部門となってしまいました。費用が足りず十分な人員が配置されないと、当然のことながら医師を始めとする医療スタッフは過密労働となってしまいます。以下はその実態です。


  • 勤務医の1週間の平均労働時間70時間…(国立保健医療科学院調べ)

  • 宿直・夜勤の翌日も勤務する小児科医:全体の7割…(厚労省の小児医療拠点病院全国調査)

  • 小児科医の24時間連続勤務の回数:月平均2.4回(最多は10回)…(同調査)

Iryo5

このような環境は女性医師を大変働きにくい状況においており、まともに産休や育休もとれず、そのため一度現場から離れるとなかなか復職できないのが現実です。その結果就労している女性医師の割合はOECDの中で統計の出ている26カ国中最下位となっています。(右図:クリックすると拡大します)

絶対数が足りない上に国が十分な費用を手当てしないために、必要な人員が配置できない。その結果の過密労働から限界に達した医師が離れていき、ますます人手不足になる。その悪循環から最終的には病院や診療科の取りやめが相次いでいると言うことです。医療にお金をかけない国の姿勢(低医療費政策)が、医師不足の根本原因です。

この問題に対する政府(厚労省)の対応については後編で述べます。

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2007年5月11日 (金)

神の手

Kaihoken

日本が世界に誇る国民皆保険制度は1961年(昭和36年)に整備完成されていますので、子供の頃しょっちゅう風邪を引いていた私は小学校入学前後からその恩恵を受けていることになります。私はこの国民皆保険制度のなかで育ち、医師となり、その後は保険医としてこの国民皆保険制度の下で20年近く診療にあたってきました。この間私自身も経済的、社会的理由で医療の恩恵に浴せなかったことは皆無ですし、診療を預かる立場からも経済的・社会的理由から病気の方の治療ができず悔しい思いをしたことはありませんでした。今まではそれが当たり前でした。

この間、診療報酬は改定のたびに常に引き下げられ、たとえ同じ人数の患者さんに同じ治療をしていたとしても病医院の収入は減り続けていくことになります。それでも毎日の診療に追われて問題意識にも乏しく、事ここに至るまで何の意思表示もできず、行動もとれずに来てしまったというのが正直なところです。それどころか”国の予算が足りないのだから私たち医者側の収入が減っても仕方がない、病気の人の役に立ちたいと思って医者になったのだから、家族がそこそこに暮らしていけるだけの収入があればまあいいか…”とさえ思っていました。

今でも私はそれで病気の方が、支払い能力の有無にかかわらず、いつでもどこでも診療が受けられる皆保険制度が維持できるのであれば、そして患者さん側の負担が少しでも減るのであれば、診療報酬の引き下げ自体は甘んじて受け入れる覚悟があります。しかるにどうでしょう、患者さんの窓口負担率(診療全体にかかった金額のうち、病院の窓口で患者さんが実際に支払う金額の率)は軽減されるどころか引き上げられる一方で据え置かれさえしていません。今や一般の方はすべてが3割負担、来年からは高齢者まで今までの倍額の2割負担になる始末です。

さらに、やはり来年から75歳以上の後期高齢者(と勝手に厚労省が名付けています)が強制的に加入させられる、民間保険と併用(50-80誰でも入れますなどと言ってさかんにテレビでCMが流されている外資系保険はそのための高齢者囲い込みが目的と聞いています)しなければとても満足な治療が受けられそうにもない保険制度が新たに始まります。混合診療の解禁といい「いつでも、どこでも、誰でもが安心して医療が受けられる」という日本の国民皆保険制度が音を立てて崩れようとしています。

Kateiigaku

ところで以前から民放の妙に不安感を煽るような構成の病気バラエティ番組が気になっていましたが、昨今はやたら”神の手”だとか”スーパードクター”などと銘打った番組が増えてきた気がします。こういう番組を見ていつも思うのですが、まるで世界にその人一人しかそういう治療ができないかの如く演出されていますが、果たしてそうでしょうか。もちろん私のような凡医とは較べるべくもないですが、この広い世界、否、狭い日本でさえ同様の腕をお持ちの”スーパードクター”は少なからずおられるはずです。またそうでなければ駄目なのです。医療は万人のための科学であり技術であって、秘伝や魔法ではありません。どんなに超絶の手技を身につけていてもそれが少数のものに独占された門外不出のものであっては何の役にも立ちません。

もちろんテレビで紹介されている”スーパードクター”もそのことは十分知っておられてその手技の普及や後進の育成に余念がないこととは思います。テレビがことさら”スーパー”だとか”神の手”だとか言って強調するのは、高額の患者負担が前提の、少数のハイクラス向けの医療の存在を許す新自由主義的な考えを植え付けようとしているのではないかと勘ぐってしまいます。テレビに絶望している私の疑心暗鬼に過ぎなければよいのですが…。

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2007年5月 8日 (火)

シリーズ医療も命も削られる(序)

Iryo

全国保険医団体連合会(保団連)の雑誌「月刊保団連」1月号の臨時増刊「医療も命も削られる」はA5判30ページの小冊子ですが、現在の医療現場のおかれた状況をわかりやすく解説してありとても参考になります。お近くの病院や診療所の待合室に置かれているかも知れませんので、是非一度御覧下さい。また保団連(TEL 03-3375-5121 FAX 03-3375-1885)やお住まいの都道府県の保険医協会で一冊150円で購入できると思います。(と書いたのですが、あめんほてっぷさんから保団連のHPにPDFがあることを教えて頂きました。手っ取り早く見てみたい方はそちらのほうをどうぞ)

全部で7章からなりそれぞれの章題は下記の通りです。


  1. なぜ起こった? 医師不足

  2. 保険診療と診療報酬

  3. 医療を削る

  4. 低い医療費、高い患者負担のからくりは?

  5. 医療を削る背景には

  6. 財政赤字が大変?(プライマリーバランス論のウソ)

  7. 患者負担ゼロなど医療の給付を拡大するにはいくらかかる?


図版や内容を引用してもよいとの了解を得ましたので、これから何回かにわたって御紹介しようと思います。できるだけ分かりやすくかつ簡潔に書くことを心がけるつもりです。
まず手始めに表紙裏の前置きをそのまま引用します。
「産科施設が激減!」
小児科も、外科も、救急も…

 医師不足による医療機関の廃院や診療科の閉鎖が深刻な社会問題になっています。「産科が相次いで閉院。市外まで行かなければ出産できない」「50キロ離れた産科医院に救急車で移動中、車中で出産した」。02年に全国6000カ所とされていた産科医院ですが、実際に分娩を行っているのは3000カ所になっていることが05年の学会調査で明らかになっています。その後も「産科医師が足りず、安全性が保てない」「採算がとれない」などと、分娩を取りやめる産科医療機関が続出しています。産科にとどまらず、小児科、外科、救急を受け入れる病院などもどんどん地域から姿を消しています。
 日本の医療制度は大きな歪みを持っています。政府が長年医療にお金をかけなかったため、日本の医療費は、先進7カ国で最低水準になっています。その一方、患者負担は先進国一高くなっています。
 私たちはこうした、医療にお金をかけない政府の姿勢を「低医療費政策」と呼んできました。
 この冊子では、この低医療費政策がもたらした様々な矛盾や問題点を見ながら、日本の医療について考えていきたいと思います。


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