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2007年11月の3件の記事

2007年11月21日 (水)

早わかりテロ特措法

テロ特措法のビラ、「早わかりテロ特措法」を作りました。リンクをクリックしてPDFをダウンロードできます。

Army_2

民主党小沢一郎代表の裏切りは、民主党による政権交代が必ずしも平和憲法を守る手だてにはならないことを私に思い知らせてくれました。それどころかもし彼の野望が日の目を見ていたら、今頃は自衛隊を海外に派遣する恒久法の成立が時間の問題になっていたでしょう。国連の指揮下であろうと無かろうと自衛隊が海外で戦闘を始めたらもう憲法9条は有名無実となってしまいます。

改憲を目論む人たちは今までも既成事実を積み重ねることによって、じわじわと憲法を貶めてきました。だからこそテロ特措法の存廃は今後の改憲の流れに大きな影響を与えると思います。しかるに各種世論調査で賛成の人が4割前後もいることにとても心配しています。もちろん態度を決めかねている人たちもまだ多いのですが、世論調査の度にじりじりと賛成派が増えてきているような気がします。

Kyuyu1_2

これには「国際貢献」だの「世界から評価されている」だの「国益」だのという政府・与党の宣伝がある程度効果を上げているのではないかと思います。先日も自民党の伊吹文明幹事長がテレビで「給油活動は国際的に高い評価を受けており、それを続ける事で他の国からも尊敬される云々」の発言をしていましたが、このような詭弁に影響を受けて”何となく賛成”という人が多いのではないでしょうか。

Kubaku4

何故詭弁かというと、戦争をしながらの「国際貢献」などあり得ないと思うからです。”貢献”しているのは親分の国に対してであり、”評価”を受けているのも親分の国からです。戦争の相手や戦場になっている国にとっては憎悪と復讐の対象でしかないでしょう。「国益」にしたって財政危機に瀕して、医療費や年金を削られ、消費税の値上げを脅されている庶民にとっては、血税を湯水のように使われる米艦への給油活動は”国益”どころか”苦役”でしかありません。

このようなテロ特措法の実態を知ったらもっと反対する人が増えるのではと考え、「早わかりテロ特措法」というビラを作りました。どうぞ御利用下さい。

Jcar

ビラにも書きましたが、平和国家日本が戦後営々として作り出してきた製品や文化こそ真の「国際貢献」だと私は思っています。質の高い日本製の車や家電品は世界中の人の役に立ち、間違いなく”国際的な評価”を受けていますし、アニメやマンガは今や世界中の人々を楽しませています。テロ特措法のような”国際貢献”はまやかしです。

Dragonball

ビラをダウンロードする。

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2007年11月10日 (土)

みんなを騙すためだったん?

Ozawa

私が「小沢一郎に騙された!」と言うと、かみさんから「あの全国行脚はみんなを騙すためだったん?(原語のまま)」との返事。政治関連の話題に疎い妻にもあの地方まわりの全国行脚は印象深かったようです。

毎日のつましい生活がいつの間にか苦しくなり、気がつくと将来の展望も見いだせなくなってしまったことに、この国の少なからぬ人々が気付き始めています。金まみれの醜い姿を厚化粧と下品なブランド物で包み隠した”東京”をテレビのモニター越しに見ながら、私たちは大きな違和感を覚え始めています。そんな時、飾らぬ姿で山間地を遊説して回る小沢さんの映像を見て、この人なら地方の惨状をわかってくれる、生活を第一に考えてくれると考えて参院選の一票を投じた人も多いはずです。

その”東京”発のテレビから、ひがな放出される文字通りの”笑”気ガスに思考力を麻痺させられながらも、この国がアメリカに盲従した果てに遠い異国でアメリカのために戦わされようとしていることにそこはかとない不安を感じていた人々も、テロ特措法へ反旗を翻した小沢さんに胸のすく思いを抱いたはずです。アメリカに楯突く小沢さんの身の安全を心配した人も少なくなかったでしょう。

Nabetune

それが何で”大連立”なんでしょう。それは政治家には権謀術数が必要なこともあるかも知れませんが、何よりも大切なことはやはり信用だと思います。信頼できない政治家に誰が付いていくでしょうか。何で翼賛政治を持ちかけ、そのためには今の小選挙区制度(良い悪いは別にしてですが…)もまた変えてしまえと平気で持ちかけるような男の口車に簡単に乗ってしまうのでしょうか。

百万言を費やしてもやはり今度のことは「裏切り」以外の何物でもないと思います。小沢さん、やっぱりあの全国行脚は私たちを騙すためだったんですか?

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2007年11月 1日 (木)

戦争の臭い

Beheiren

 小田実の本「中流の復興」を読んでいます。学生時代に読んだのは「世直しの倫理と論理」だったでしょうか。もう覚えていません。「殺される側の論理」などという言葉が蘇ってきました。この言葉今も少しも色あせていません。それどころかますます今の世界では強いメッセージを発しています。

 序章「被害者にも加害者にもならない未来へ」を、小田は”戦争の臭い”という表題で書き始めています。”戦争の臭い”とはすなわち死体の臭いです。当時中学生だった彼が焼け跡の片付けに動員され、がれきの中から引きずり出した腐った死体の臭いのことです。これは強烈な印象として残り彼は戦後食料がない時代にも配給されたあるものの缶詰がどうしても食べられなかったそうです。小田実があくまでも「殺される側」の視点を持ち続けてその後の平和運動を続けていったことのこれが原点だったのでしょう。

 この夏NHKで旧日本軍の南洋諸島やインドシナでの悲惨な戦いを既に齢80代になられている当時の兵士の方々の証言で綴る特集シリーズを放送していましたが、実際に戦地で戦った兵士達の悲惨さは想像を絶するものがあります。この世の地獄のような証言でした。彼らが今までなかなか重い口を開かなかった理由がよくわかります。彼らは「殺される側」でもありまた「殺す側(実際に手を下して殺すように命令される側)」でもありました。とくに「殺す側」としての行為は家族にさえ話さず墓場まで持って行こうと思っている方が多いのではないでしょうか。

 戦争とはそれに巻き込まれた一人一人の庶民にとっては、テレビや新聞のニュースなどではなく、ましてや歴史書や教科書上の出来事ではありません。自分自身や身近な人の死であり、あるいはまた自分自身が人殺しになることです。私たちにとって戦争とは死体の臭いそのものでしかありません。”正義の戦い”、”テロとの戦い”、”聖戦”、どんなに美辞麗句を並べようとつくりだしているのは死体の山です。

 小田実は言います、「軍人の思想、戦争の思想に巻き込まれてはいけない」と。テレビのニュースや政治番組で中東の戦争やそこに派遣されている自衛隊が論じられているのを視るとき、私たちはつい為政者や司令官になったつもりで思考しがちです。それは今、声高に叫ばれている”国際貢献”、”テロとの戦い”、”何物にも代え難い日米関係”などという言葉のまやかしにも通ずるところです。しかし視聴者の九分九厘は実際の戦争では「殺される側」や「殺す側」に否応なくされてしまうはずです。「殺すように命令する側」の論理、「死体の臭いの届かない所で命令を下している側」の思考に巻き込まれてはいけないということでしょう。

 久し振りの小田実は徹頭徹尾市民の目で世の中を見ていくことをあらためて思い起こさせてくれました。私は国家ではありません。ちっぽけな一人の市民です。だからこそ市民の目で世界を見つめ、市民の論理で戦争を考えていこうと思います。

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