「Sicko」の世界はもう目の前
おんぼろビデオに録画した朝ドラを妻と二人で見つつ夕食を摂るのがここ数年の我が家の日課ですが、前2作と打って変わって今回の「どんと晴れ」どうしても感情移入ができません。老舗旅館の経営立て直しが背景となっているのですが、「悪しき慣習」とか「改革」とかのどこかで聞いたフレーズがやたらに使われており、ある意図を感じてしまうからかもしれません。
それでも見たがる妻に付き合い私にとってはいささか苦痛な時間がやっと終わると、ローカルニュースの時間になっていました。またまた郡部(といっても今は”平成の大合併”で市にはなっていますが)の公立病院で内科の医師がいなくなり、夜間の救急医療が続けられるかどうかの瀬戸際と報じていました。今のところは外科の医師が内科の患者さんも診ることにして夜間救急を続けていくそうですが、もともと手術や処置に少なからぬ労力を費やしている外科医の負担は計り知れないほど大きくなると思われ、とても心配です。この病院にはすでに夜間の救急医療ができなくなっている隣の市からの患者さんも搬送されていたとのことですので、行き場のない医療難民が増えるばかりです。他の県の事情はよく知りませんが、恐らく日本中でこのようなことが起こっているのだと思います。インタビューに答えた院長の「医療は公共事業だから、医者が足りないからと言って(夜間救急を)やめるわけにはいかない。」という発言が印象的でした。
”公共事業”、今は何とおとしめられている言葉でしょうか。今の”改革”政治の端緒は無駄な公共事業の追求キャンペーンからだった気がします。改革すべきは公共事業に絡む利権や無駄だったはずなのに、いつの間にか公共事業そのものが諸悪の根源のように言われ始め、”官から民”へのスローガンのもと利益(お金)を生み出せないものは存在価値がないかのような風潮になってしまいました。道路や鉄道の整備、治山、治水、公園や図書館などの公共施設の整備の一体どこが悪いというのでしょうか。悪いのはそれを錬金術に変えてしまった欲に目が眩んだ人達でしょう。狡猾な彼らは国民の怒りをうまくすり替えることに成功し、まるで明治時代の官営工場払い下げのように公共事業を民営化という商売の種にしようとしています。
医療も例外ではありません。私はまだ見ていませんが医療民営化”先進国”であるアメリカの惨状を描いたマイケル・ムーア監督の最新作「Sicko」では民間医療保険の給付の際の制限や支払拒否の凄まじさに驚かされるそうです。医療保険と銘打ってはいても、最も医療を必要とする人(持病や既往症のある人)を真っ先に排除することが公的医療保険との大きな違いです。日本に代表される公的医療保険による国民皆保険制度は持病や既往症に関係なく加入でき、給付も現物(一旦支払って後から申請してお金が返ってくるのではない、給付分は支払いそのものをしなくて良いということ)で制限や支払拒否はありません。
”官から民”へのデマゴギーに踊らされて一旦医療保険が民営化されてしまえば、アメリカの例を見るまでもなく、医療は営利事業となり何よりもまず利益を出すことが優先されることになります。営利企業にとっての”患者さん”とは治療費の払える”患者さま(=お客さま)”だけです。治療費の払えない人々を切り捨てたこのような医療システムが一旦動き出してしまえば、他の分野と同様必ず利権が生じ、保険会社や製薬会社、さらにはその系列病院などからの多額の献金が議員達を縛り、もとの公的医療に戻ることはかなり困難になるのではないでしょうか。
来年4月からはついに後期高齢者(75歳以上)のみの独立した医療保険制度が始まります。この制度では窓口負担額は一応1割とされていますが、診療報酬(医療サービスの料金表)をそれ以下の世代とは別立てにして安上がりにしようとしている(公的保険の使える治療や薬に制限を設ける)と言われています。混合診療の解禁(医療機関が公的保険を使った診療と保険のきかない自由診療を併用してもよいようにすること)とセットにすれば、ほら、「Sicko」の世界はもう目の前です。
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